第6回―タイトルに訊け!― 後編
Text by 田村信
『蝙蝠地獄』('99米 主演ルー・ダイアモンド・フィリップス)というタイトルビデオが、少し前に出たが、いまどきこの前時代的なタイトルのベタさが素晴らしい。訳のわからないカタカナタイトルが並ぶなかではむしろ新鮮だ。
原題は『BATS』だが、“蝙蝠”という漢字表記の持つ不気味さに“地獄”を安易にあっさりくっつけるところがいい。ビデオの巻頭にはコメディーっぽい『悪魔大臣』という映画の予告も入っているが、2本に共通するアナクロニズムぶりが、このビデオ販売会社のセンスなんだろう。私は嫌いではない。(『悪魔大臣』はまだ観ていないので原題がどうかは知らない。いずれは観るのだが、そそらない作品ほど時期は遅れる)
ただ『蝙蝠地獄』も面白くてこそ、ダサ風タイトルがひと回りして“粋”に映るのだが、内容は当たり前で新味はない。そもそも多少大型にしろ、普通のコウモリが群れをなしたところで気色悪いがたいして恐くはない。どうせ当たり前なら“今時風当たり前”にして、DNA操作がどうのこうので“人間コウモリ”が大挙して人を襲うほうがよっぽど不気味で“地獄”だ。予算の都合もあるだろうし、仕方がないのだけれども。
『コモド』('99 米)も破棄されたタマゴが孵化して島で繁殖するのだが、そんなに数が多いわけでもなく、そこそこには大型だが、しょせん普通のトカゲだ。タイトルは恐いどころかニュアンス的にはかわいらしい。
なぜ1匹だけ海にワニがいるのか説明のない『クロコダイル』('00 米)や『アナコンダ』('97 米)よりもっとデカくてヘビの大きさではびっくりする『パイソン』('00 米)もタイトルが当たり前すぎだ。トカゲもワニもヘビもみんな漢字表記にして『コモド』は『蜥蜴地獄』。『クロコダイル』は『悪魔の海鰐』、『パイソン』は大きさに敬意を表して『毒蛇大臣』というのはどうだ。
『U.M.Aレイクプラシッド』('99 米)も出てくるU.M.A(未確認生物)とは、どんな怪物かと思ったら牛をもパクリと食べる巨大ワニだ。この作品は話は当たり前だが、こじんまりした良質の動物パニック物で、主要人物たちのゆかいな掛け合いもほどよく、『パイソン』や『コモド』、『クロコダイル』よりははるかに面白い。
主演のビル・プルマンはメガヒットの『インディペンデンスデイ』('96 米)で儲け役のアメリカ大統領を演じてからは品のいい優男風二枚目の主役級にのし上がったが、93年には『ジャック・サマースビー』『冷たい月を抱く女』『めぐり逢えたら』『甘い毒』と、ものの見事に全て振られ役ばっかり演じたマゾヒストだ。ここはひとつ『牛喰い鰐対苦痛快感人』というのはどうだ。
近年の動物パニック物では一級の『ミミック』('97 米 主演ミラ・ソルビノ)はDNA操作された虫が人間みたいに大きいのがいい。羽根がコートのようで、頭が人の顔に見えるところがゾッとするくらい気色悪い。
映像もスタイリッシュで面白いが、映画の湿った不気味さがタイトルに出ていない。原題の“ミミック”は“擬態”の意味だが、語感がかわいらしすぎる。マ、ミ、ム、メ、モの“マ行”は重ねると印象が柔らかすぎるのだ。昔、“トリオ・ザ・ミミック”という形態模写のお笑いグループがいたが(得意ネタは三波伸介と財津一郎だ)、こちらも連想させてどうもいかん。
「擬態」というそのまんまの漢字タイトルが固くてダサイというのなら、逆療法で恐いもの系定番の“地獄”や“悪魔”をみんなくっつけてしまえばいいのだ。『擬態悪魔の地獄大臣』というのはどうだ。なんで大臣なのかよくわからないところがいい。
『交渉人』('98 米 主演サミュエル・L・ジャクソン、ケビン・スペイシー)は面白いしヒットもしたが、流れの逆をついた漢字タイトルの固さがいい。これは、なぜ堅苦しい漢字タイトルになったかというと、“交渉人”は原題の“THE NEGOTIATOR”の直訳なのだが、このネゴシエーターというのは、97年にエディ・マーフィー主演の『ネゴシエーター』で既に使われているのだ。これはE・マーフィー物としてはあまり話題にならなかったが、『48時間』('82 米)や『ビバリーヒルズコップ』('84 米)以上にハードで、変なコメディー物よりずっと面白い。E・マーフィーは交渉人の役どころで、原題は『METRO』だが、邦題は『ネゴシエーター』だ。これはこれでうまい邦題だとは思うが、この作品があることによって『交渉人』はこっちこそ原題が『ネゴシエーター』なのに、タイトルがかぶらないためにも漢字表記にせざるを得なかったのだ。
などと偉そうに断定しているが、もちろん私は関係者ではないので、こんなものは憶測で、推断だ。間違ってたらごめん。でも、多分、いまの流行からして間違っていないと思う。最初から、「これは漢字でいこう」と決めてたとしたら、それはそれで立派だ。
現在映画館では『処刑人』(未観)というのをやっているが、明らかに『交渉人』タイトルの成功に呼応したものだ。3月には、デビッド・カルーソ主演の『ザ・ネゴシエーター』(未公開なので、もちろん未観)というビデオが出るが、これもどうせなら『大交渉人』とかにしてほしかった。
タイトルが紛らわしいだけではなく、まるっきりかぶってしまうというのもいまでは当たり前で、『ノーエスケイプ』('94 米 主演レイ・リオッタ)や『ノーエスケープ』('98 米 主演マシュー・モディーン)はケイプとケープが違っているだけまだいいが、『死の接吻』('91 米 主演マット・ディロン)、『死の接吻』('95 米 主演デビッド・カルーソ)はサブタイトルもなくまるっきり同じだ。
『完全犯罪』('93 米 主演ジョン・リスゴー)などは、『完全犯罪』('93 米 主演クリストファー・マクドナルド)、『完全犯罪』('99 米 主演アレッサンドロ・ニボラ)と次々に出てくる。『ノーエスケイプ』は女性が全く出ない珍しい映画だが、面白い。2本の『死の接吻』とアレッサンドロ・ニボラの『完全犯罪』はそこそこだが、あとは平均点以下だ。
原題を先に使われてしまった例もまだある。若い漂流者がたどり着いた南海の孤島は、科学者が動物を人間に変える実験をしていた悪魔の島だったというH・G・ウエルズの小説『ドクターモローの島』は、これまでに3度映画化された。3本とも原題は同じなのだが、邦題は全部違う。
1本目は『獣人島』('32 米 未観、これは観たくても見れない)。さすがに昔の邦画タイトルはわかりやすくて、うまい。2本目は原題通り『ドクターモローの島』('77 米 主演バート・ランカスター)。この映画が上映されていた時期、私はやたら締め切りに追われていたのだが、仕事中、急に堪らなくそそられてアシスタントと新宿まで観に行った。アシスタントは、「あんまりおもしろくなかった」とか言ってたが、私はものすごく満足した。この時間ロスで、後でえらい目にあったのだ。
3本目は時代に合わせて『DNA』('96 米 主演マーロン・ブランド)としたが、実は原題が“DNA”の『DNA2』('97 米 主演マーク・ダカスコス)という映画があるのだ。なんだかややこしいが、『DNA2』は『DNA』とは話は全く関係なく日本未公開作だ。これを『DNA』のビデオ発売に合わせ、本当は自分が“DNA”タイトルの本家なのに、あえて『DNA2』と続編を装って世に出た。つまり、日本公開作の尻馬に乗ったのだ。尻に乗られた『DNA』がおもしろくてヒット作ならよくあるパターンだし、当然なのだが、これが気色悪いだけで、ちっともおもしろくない。
ヴァル・キルマーが出ているのだから、当然、獣人に改造されかかる漂流者役かと思ったら違った。前作では、漂流者役はマイケル・ヨークが演じたが、2人はよく似ているし、どちらも獣人顔なのに。本当は漂流者役でキャスティングされたのだが、“エエカッコしい”のキルマーが「やっぱり獣人のメイクもしなけりゃならんこんな役はいやじゃっ!」とか言って急にゴネたのかしらん。映画雑誌にも、キルマーのワガママぶりはときどき載っているし。
おかげで重要な漂流者役はデビッド・シューリスだ。『ドラゴン・ハート』('96 米)あたりでは根性の曲がった王子役がはまっていたが、ここでは完全にミスキャスト。猿から人間に改造された娘役に野獣系美女のファイルザ・バーグというのはピッタリでおかしいが、変人科学者役のマーロン・ブランドのブクブク白ブタぶりはびっくりする。このじいさんが一番獣人じゃ。
怪優ぶりが極まってきたマーロン・ブランドは、この後の作品、ジョニー・デップ監督・主演の『ブレイブ』('97 米)でも変人白ブタで、訳のわからない理屈をこねまわす。『DNA』『DNA2』どちらが本家だかよくわからないが、おもしろくなさはドッコイドッコイだ。
昔、『魔鬼雨』('75 米)という映画があったが、これの原題は『THA DEVIR'S RAIN』なので、普通なら“悪魔の雨”とか“悪魔雨”ときそうなものだなのだが、“鬼”を入れ、“魔”を先にもってきて“魔鬼雨(まきう)”と意味深ぶりを強調するところが渋い。
アーネスト・ボーグナイン扮するゴリラ鬼みたいな悪魔が強烈だったからかどうか知らないが、こういうちょっとしたひねりのセンスの良さに私はものすごく感動するのだ。
『激光人レーザーマン』('88 米)は原題の『THE LESERMAN』をわざわざ漢字にする“愚”が素晴らしい。“レーザー”のように確立されて普及した外来語は日本語で説明するほうがややこしいが、これを“激光”とするところがしびれる。
広辞苑にも現代用語の基礎知識にも“レーザー”の説明の項に“激光”なる言葉は出てこない。イミダスなどは“レーザー”は当たり前すぎて単独では載ってもいない。この映画は米映画だが、スタッフ・キャストとも香港勢なので、わざわざ漢字タイトルをつけたのだろうが、一見当たり前のような“激光人”というダサさギリギリ、紙一重の“愚”のセンスに妙に感動するのだ。
別に私は漢字タイトルだけが素晴らしいと思っているわけでもないし、何でもかんでも漢字タイトルにすればいいと思っているわけでもないけども。
『犯られた刑事』('85 米 主演リチャード・クレンナ)という映画があるのだが、“殺られた”“殺られる”ならよくあるが、これは“犯られた”だ。文字通り、おっさんの刑事がレイプされるのだ。なんちゅう映画じゃ。レイプ被害者の女性たちをぞんざいに扱う刑事が身をもって痛みを知るという“目には目を”の国のレイプ告発映画なのだ。監督は、もちろん女性のカレン・アーサーだ。原題もズバリの『THE RAPE OF RICHARD BECK』(RICHARD BECKというのは主人公の役名)だが、邦題のほうがエスプリが利いている。
『掘った奪った逃げた』('79 仏)もうまい。原題は全く違うが、これはもちろん長嶋茂雄の自伝『燃えた、打った、走った』からの連想だろうけど、地下トンネルを掘って銀行の金庫を破る、もの静かな淡々とした進行ぶりが無機質な邦題とピッタリマッチした。
タイトルにも流行があって、映画デビュー作『ミスターグッドバーを探して』('77 米)からおしりをプリプリ出していた尻出し大好きセクシー俳優リチャード・ギアの『愛と青春の旅立ち』('82 米)が大ヒットした後は、『愛と追憶の日々』('83 米 主演シャーリー・マクレーン)だの、『愛と哀しみの果て』('85 米 主演ロバート・レッドフォード)だの、“愛と何とか”のタイトルビデオが何十本も出た。
香港のギャング映画まで、『愛と復讐の挽歌』('87)だ。“愛”ではないけれど、『ニンジャサンダーボルト裏切りと復讐の暗殺軍団』('85 台湾)などというおっかないのもある。
中国映画は別にして、さすがに恋愛物には漢字ばっかりの、いかついタイトルは少ない。どれも情緒的だ。『恋しくて』('87 米 主演メアリー・スチュアート・マスターソン)などは好きなんだけども好きと言えない少女の切なさがにじみ出るシンプルさがいい。『恋におちて』('84 米 主演ロバート・デ・ニーロ)は原題の直訳だが、そのまんまのスタンダードぶりがいい。
ハリウッド進出前のアントニオ・バンデラスが出ている『アタメ・私をしばって!』('90 スペイン)になるとちょっと様子が違ってくる。変態だ。テーマは純愛なのだが。これは“アタメ”というのがなんだかよくわかりにくいので、『熱海で私をしばって』に改題すべきだ。誰も熱海に旅行するわけでもないけども。
恋愛物ではないが、『ヘルスネーク淫蛇(エロヘビ)の交(まぐ)わり』('74 西独)になるとムチャクチャだ。こんな猥雑なタイトルも珍しい。なにも地下ビデオではない。ちゃんと日本公開されて正規にビデオ発売もされているのだ。淫蛇と書いて“エロヘビ”と読ますところが憎い。“交(まぐ)わり”という表現もうなる。古事記の時代の人間か。中身は“西独版エクソシスト”で邦題ほどエグくはない。
タイトルに妙にインパクトがあって、惹かれる映画もいっぱいある。『ゲシュタポ卍死霊軍団カリブゾンビ』('76 米)なんかは、いかにもすごそうだが、“間”が昔風だ。『女と女と井戸の中』('97 豪)は間のヌケ具合がおもしろい邦題だが、確かに女と女が男を殺して井戸の中に放り込むのんびりした映画だ。
一風変わった同性愛映画は、『彼と彼 とても大きな水しぶき』('74 英)。なんじゃこりゃ。ニセ教師が校内のワルを退治する『先生はムショ帰り』('84 米 主演ビリー・ディ・ウイリアムス)もちょっと粋だ。
ソフィー・マルソー主演で、彼女の彼氏が監督した独り善がり映画は、『私の夜はあなたの昼より美しい』('89 仏)。知らんがな。
香港映画もすごいのがいっぱいあるのだが、いかにもゲテモノっぽい『八仙飯店之人肉饅頭』('93 香)はあにはからんや、つくりがしっかりしていて妙におもしろい。香港映画では、『ハードボイルド・新男たちの挽歌』('92 監ジョン・ウー、主チョウ・ユンファ)、『プロジェクトA』('84 監、主ジャッキー・チェン)の次くらいにおもしろい。
なんたって監督、主演の李修賢は、この作品で、この年の香港アカデミー主演男優賞を獲っているのだ。何でもありの香港映画界のパワーを感じる。
『人肉天婦羅』('93 監リン・シー・フン、主ウォン・コン・ロン)というのもあるが、こちらは生粋のゲテモノで、見るべきところは何もない。(『八仙飯店――』は2も出ているが、まだ観ていない)
映画の邦題は、公開時とビデオ発売時では違っていたり、テレビ放映時の際にも変更されたりする。『妖精写真』('97 英)はWOWWOWで放映されたときには『大人のための残酷童話・妖精写真』になっていた。これみたいにうまく、よりそそるようなサブタイトルを加えるのは有意義だが、フランスのデ・ニーロ、ダニエル・オートイユ(単に顔が似ているだけなのだが)主演の『見憶えのある他人』('96 仏)はビデオになったら『悪魔の囁き』だ。これなんかはまるっきり変わってしまっているので、とてもややこしい。『悪魔の囁き』というのは、いかにもありていだ。最初のタイトルのアンニュイさはいいので、どうせなら雰囲気を残して『見たこともない知り合い』というのだはどうだ。▼